史跡・城跡 皿沼遺跡(白岡町) 昭和52年に発掘調査が行われ、縄文時代中期〜後期の住居跡9軒、古墳時代前期の住居跡2軒などが見つかりました。平成13年度に2度目の発掘調査が行われ、縄文時代中期の住居跡がさらに4軒見つかり、甲信地方に分布する土器が出土しました。当時すでに広範囲にわたる交易が行われていた証が見られる遺跡です。...
史跡・城跡景色を楽しむ 柴山伏越(白岡町) 元荒川と見沼代用水の交差地点で、元荒川の川底を見沼代用水が逆サイフォン式で抜け出る構造になっています。この伏越は、享保12年(1727)に井沢弥惣兵衛為永によって「紀州流」という土木技術でおこなわれました。当初、伏越地点では伏越と掛渡井(元荒川の上を樋によって通水する)がおこなわれ、舟運にも利用されていました。...
史跡・城跡 筆塚(白岡町) 白岡町爪田ヶ谷の観音堂の敷地内に築かれています。筆塚は、もともと書家が廃筆の供養のために築いたもので、書家が寺子屋の師匠になるに及んで教え子達の筆もあわせて埋め、筆の供養をするとともに、師匠を顕彰する意味を持つようになりました。爪田ヶ谷の富沢玄智の筆塚、篠津の大野氏宅の顕彰碑などがあります。...
史跡・城跡名木 一里塚(白岡町) 1604年、江戸幕府は日本橋を起点に1里(約4キロメートル)ごとに街道の両側に塚を築き、頂上に榎や松の木などを植樹し、旅行者の目印としました。下野田の一里塚は日光御成道に造られたもので、日本橋から11番目の塚になっています。なお、両側に塚の残る一里塚としては県内唯一で、県指定の史跡となっています。...
史跡・城跡碑・像神社・寺院花 東光寺(北本市) 川越東明寺の末寺で、「新編武蔵風土記稿」には阿弥陀堂と記されています。伝説では源範頼の開基(一説には石戸左衛門尉)と伝えられ、全国で4番目に古い貞永2年(1233年)銘の阿弥陀三尊種子板石塔婆などの中世石造物が多くあります。また、境内とその周辺は、鎌倉期の館跡(堀之内館)と考えられています。...
史跡・城跡碑・像 田舎教師像(羽生市) 弥勒高等小学校跡地にある田山花袋の小説「田舎教師」の主人公・小林秀三の等身大ブロンズ像です。羽織袴に鳥打帽子をかぶり、風呂敷の包みを持ち正面を見すえ立っています。秀三は中学校卒業後、三田ヶ谷村の弥勒高等小学校の准教員として教鞭をとりました。...
史跡・城跡 柊塚古墳歴史広場(朝霞市) 「柊塚古墳」は埼玉県指定史跡の6世紀前半の前方後円墳で、歴史広場として整備されています。古墳の保存とともに緑地も保護し、敷地内には古墳の復元模型や、出土品をモデルとした家型埴輪の多目的トイレ、馬形埴輪のモニュメントなどが設置されています。...
史跡・城跡建造物 旧島田家住宅(三芳町) およそ180年前の文化・文政期に建築されたと考えられる茅葺屋根の民家住宅です。畑作新田として知られる三富の開拓が、さつまいもの導入により豊かになったことを証明してくれる大型の家屋であり、近郷農民の子弟を集めて寺子屋を開設していた時期もあることから、三芳町の教育の歴史も伝えてくれます。...
史跡・城跡 蕨城跡(蕨市) 蕨城は南北朝時代に渋川氏が館を構えたことに始まり、1567年の三舟山合戦での渋川氏の戦死にともない廃されたと言われています。江戸時代の始めには、徳川将軍家の鷹狩用の休憩地の「御殿(ごてん)」として、蕨城の跡地が利用されました。現在は、緑豊かな「蕨城址公園」として整備され、市民の憩いの場となっています。...
史跡・城跡 蕨本陣跡(蕨市) 蕨宿の本陣は、加兵衛家と五郎兵衛家の2家が代々勤め、蕨宿の中央部に向かい合うようにして建っていました。加兵衛本陣には、老中水野忠邦や松平加賀守、皇女和宮(かずのみや)などが休泊し、1868と1870には明治天皇も大宮氷川神社行幸の途中に休憩しています。...
史跡・城跡碑・像 将門の首塚(幸手市) 浄誓寺には高さ3m程の塚があり、頂に風化した五輪塔が立っています。ここに天慶の乱(940)に敗れた将門の首が埋められているといわれています。また付近には、将門の血が赤く木を染めたことからつけられたという赤木(あかぎ)という地名も残っています。...
史跡・城跡景色を楽しむ 石田堤史跡公園(鴻巣市) 関東の名城忍城を攻略する際、石田三成が築いた石田堤は、約28kmに及ぶ堤を約1週間で作り上げたと言われ、吹上地域におよそ300m残っています。石田堤史跡公園では当時の歴史に触れることができます。石田光成の忍城攻めは日本三大水攻めとして有名です。...
史跡・城跡 野火止用水(新座市) 承応4年(1655)、当時川越藩主であった松平信綱によって、武蔵野開発の一環として野火止台地開発のために開削された用水路です。玉川上水を多摩郡小川村から引水し、野火止大地を経て新河岸川にいたる、全長25キロにも及ぶ飲料水の確保を主目的とした生活用水です。...
史跡・城跡神社・寺院 熊野神社古墳(桶川市) 熊野神社古墳の上には熊野神社が祀られています。出土した土器から、4世紀後半に築造されたことが確認され、玉類、石製品などの副葬品は国指定重要文化財となり、埼玉県立博物館で保管・公開されています。なお、桶川市歴史民俗資料館でも精密な複製品を展示しています。...
おみやげレストラン・カフェ博物館・科学館史跡・城跡 道の駅 おかべ(深谷市) 日本有数の野菜産地である深谷市特産の農産物直売所やユリ・チューリップなどの切り花の品揃えが豊富で、併設されている物産センターでは、地元の野菜を使用したお漬け物やジェラート等が豊富に販売されています。...
博物館・科学館史跡・城跡建造物 誠之堂・清風亭(深谷市) 深谷市で生まれた渋沢栄一にゆかりのある建物で、平成11年に東京世田谷区から深谷市に移築されました。「誠之堂」は国指定重要文化財、「清風亭」は県指定有形文化財に指定されています。...
史跡・城跡建造物 川越城中ノ門堀跡(川越市) 川越城は1457年に築城されました。1639年に藩主となった松平信綱は城の大改修を行い、中ノ門堀もこの時期に造られたものと考えられます。明治時代以降、川越城の多くの建造物が取り壊されましたが、中ノ門堀跡は旧城内に残る唯一の堀跡となり、貴重な歴史的遺産として保存・公開しています。...
史跡・城跡 遷喬館(さいたま市) 1799年に、岩槻藩士の儒学者、児玉南柯が創設した私塾であり、文化年間に藩校となりました。建物は武家屋敷を利用したものであり、木造平屋建て、茅葺屋根の構造です。 現在では江戸時代に児玉南柯が創設した当時の姿に復元され、吹きさらしの玄関や漆喰の壁、生徒の入口を設けています。埼玉県内に現存する唯一の藩校でもあります。...
史跡・城跡 時の鐘(さいたま市) 岩槻城の鐘楼で、1671年当時の岩槻城主阿部正春が渋江口に設置しました。昔はこの鐘の音が九里四方に鳴り響き、江戸にとどくほどだったと言われています。以来、享保5年(1720)の改鋳を経て、現在に至るまで、美しい音色を響かせて、今も午前6時と午後6時には、市民に時を知らせています。...
史跡・城跡 見性院の墓(清泰寺)(さいたま市) 円仁によって開祖された「清泰寺」にあります。見性院は穴山梅雪の妻で、武田信玄の次女でもあります。夫の死後、徳川家康に保護され比企尼屋敷に住みました。二代将軍秀忠の侍女お静の方が妊娠するとこれを保護し、ここで生まれた後の会津藩主保科正之を7歳まで養育しました。現在の墓石は、1858年に会津藩により建てられたものです。...