史跡・城跡 大谷瓦窯跡(東松山市) 大谷瓦窯跡は、県道福田・吹上線を北側にのぞむ、丘陵の東南斜面に残されています。昭和30年に2基の窯跡の発掘調査が行われ、完全な形で掘り出された1基です。瓦窯跡は、瓦を焼いて製作した窯のことで「登り窯」と呼ばれています。出土遺物は、軒丸瓦、平瓦、丸瓦、文字瓦などで、国の史跡に指定されています。...
博物館・科学館史跡・城跡 東松山市埋蔵文化財センター(東松山市) 豊かな自然に恵まれている東松山市には、古来の方々が残した遺跡が数多く所在します。遺跡に残された住居跡や墓、使用していた道具など、地下に埋もれていた文化財は埋蔵文化財と呼ばれ、過去の人々の生活や文化を知る貴重な手がかりとなります。数多くの出土品を収蔵・保管し、整理を行い、公開をするために建設されています。...
史跡・城跡 一夜堤(北本市) 石戸城跡と谷をへだてた東側の台地とを結ぶ堤。16世紀中頃(永禄5年(1562年))の石戸城をめぐる上杉氏と後北条氏の戦いの折 に、一夜にしてこの堤が沼地に築かれたことにより、難攻不落の要害を誇った石戸城は、たちまちの内に落城したと伝えられています。今は、「自然遊歩道」の 一部となっています。長さ45m、幅5mです。...
史跡・城跡碑・像 北向き地蔵(北本市) 願い事を叶えてくれる地蔵として有名で、仏像には珍しく北面しているためこの名があります。「泥の団子」を供えて願いごとをし、願いが叶ったら「米の団子」を供えるという信仰があります。享保14年(1729年)、「万人講中」により建立されました。道標も兼ねています。...
史跡・城跡 十条条里遺跡(美里町) 大化の改新の制により実施された班田収受法の珍しい遺跡です。地名ともなっている十条の名は、南より第十条にあたるところで、現在はその碑が残っています。県史跡に指定されています。...
史跡・城跡 さらし井(美里町) 美里町大字広木地内のねり木川の端にあるこの遺跡は、奈良時代、織布を洗いさらすために使用された井戸です。万葉集第9巻には「三栗の那賀に向かえる曝井の絶えず通はむそこに妻もが」とうたわれているように、ここは当時の女性達の共同作業場であり、社交場でもあったわけです。ここでさらされた布は、多く調庸布として朝廷に貢納されました。...
史跡・城跡 水殿瓦窯跡(美里町) この国指定史跡である窯跡は、鎌倉時代のもので、現在4基の窯跡が確認されています。ここより、出土した瓦は、文治5年(1189年)に源頼朝が奥州藤原氏の平泉の諸堂を模して建立したといわれる鎌倉二階堂永福寺跡出土の瓦と大変似ており永福寺修理の際に使用された瓦がここで生産されたと思われます。...
史跡・城跡 万葉遺跡伝大伴部真足女遺跡(美里町) 堀形の田畑に囲まれた約90メートル四方の遺跡で、防人檜前舎人石前館跡と言われています。万葉集第20巻には「まくら大刀腰にとりはきかなしきせろかまきこむ月のしらなく」と、である真足女が、防人の夫を想い詠んだ歌が載っており、現在は文学博士・武田祐吉氏の書による歌碑が建てられています。...
史跡・城跡 御成街道一里塚(杉戸町) 御成街道は日光街道の脇街道で、江戸時代徳川将軍の日光社参道としてつくられたものです。慶長九年(1604)、幕府は江戸日本橋を起点に一里ごとに塚を設けることを命じ、その時に築造された一里塚が、今も下高野と下野の境界に残されています。ほぼ原型が保存されているのは県内でも大変珍しく、大正十五年、県の指定史跡になりました。...
史跡・城跡 大光普照寺(神川町) 金鑚大師(かなさなだいし)または元三大師(がんざんだいし)の名で知られる大光普照寺(だいこうふしょうじ)は、聖徳太子の創建で舒明天皇(じょめいてんのう)の勅願寺(ちょくがんじ)と伝えられています。 金鑚大師の命日にあたる正月3日の初大師には、境内では縁起物のだるま市が開かれ、善男善女の初詣とあいまって大変な賑わいです。...